10月1日は何の日でしょう。
東京都民の日、トンカツの日など色々な記念日がありますが、2024年の10月1日は足立小から一番身近な駅、五反野駅が開業して100周年を迎えました。(五反野駅だけでなく、小菅駅や梅島駅も同日に100周年を迎えました。)おめでとうございます!
100周年を記念して、9月30日には足立小に足立区立郷土博物館の学芸員さんをお招きして「五反野駅100周年記念講演」が開催されました。
今回のブログは、講演会に行けなかった方々にもお伝えできるようにまとめてみました。
講演会には、地域や保護者の方々約80名と多くの方々が講演会に足を運んでくださいました。
懐かしい資料や約60年前の五反野駅周辺の写真を見ながら、「まだ高架が出来る前だね」「この頃は踏切は手動だったんだよ」「このお店懐かしいね」と想いを馳せる会話があちらこちからから聞こえてきました。地元に密着した駅は沢山の思い出とともに歴史を歩んできたようです。
講演会の前には全校集会があり、100年前に走っていた電車の写真など、低学年にもわかりやすく五反野駅の移り変わりをお話してくださいました。
そして講演会は5・6年生と、集まった地域の方々や保護者の方を対象に学芸員さんがお話をしてくださいました。
何が違うでしょう?
「白黒写真ー!」という意見もありましたが、正解は、高架ができたことです。
電車が高架を走ることで、道が整備され人々が暮らしやすくなり、今のように住宅が立ち並ぶ町に発展していったことを教えてくださいました。
また、100年前にはもう一つお誕生日を迎えたものがあります。
それは、荒川放水路です。
(1924年の10月12日に荒川放水路が通水されて、今まで決壊することなく私たちの地域を支えてくれています。)
実は荒川は人の手で作られた川だったんですね。当時の五反野近辺は水害の多い地域でした。荒川放水路の整備により、洪水や水害から守られて、私たちの地域は発展していったんですね。
足立小付近も農業用水路だったようで、道路の下には今も水路があるそうです。
そして東武の駅にも実は関係があります。
当時の東武線は北千住の次の停車駅は西新井でした。荒川放水路の計画により、川に対して垂直に走るように橋を架けて、そこから西新井に繋ぐルートを作ったことで、小菅、五反野、西新井の3駅が誕生しました。荒川放水路の計画がなかったら、この3駅はうまれていなかったかもしれません。
※(西新井駅と梅島駅の間にある亀田トレイン公園には、路線変更前の線路の一部と車輪が飾ってあります。ご興味のある方はぜひ)
最後に五反野駅の歴史についても少しお話します。東武鉄道は1899年に開業し、最初は北千住から久喜間で営業をしていて、当時はSLが走っていたそうです。
今から100年前(大正13年(1924年)10月1日)に五反野駅が開業しました。それからおよそ40年後の昭和43年(1968年)に駅の高架が完成しました。
今は島式ホームの五反野駅ですが、昔は対面式のホームのつくりでした。今も名残があるので探してみてください。
五反野駅はバリアフリー設備も充実していて、エスカレーターやエレベーターはもちろん、バリアフリーのトイレがあったりと、住民に寄り添った駅です。また、今年2024年からホームドアが完備されたことも記憶に新しいですね。
※1地名の由来は色々諸説ありますが、江戸時代、綾瀬村、新五郎新田の一部で「五段野」と呼ばれ、それが変化して駅名の「五反野」になったなどと言われています。
※1東武スカイツリーライン街と駅の今昔物語引用
歴史ある駅がこうして今も愛されて発展していくのは素晴らしいことだなと実感しました。
まとめとして、100年の間に土地が整備されて人口が増え、やがて駅や住宅地が立ち並ぶきれいな町に五反野は発展していったことを学ぶことが出来ました。今回の講演では町のあゆみを誇りにしてほしいこと、100年後にどんな地域になったらいいか考えてほしいとメッセージがあり、自分たちの暮らす地域と歴史について学ぶ貴重な時間になりました。
講演を企画してくださった区の職員の皆さまや、貴重なお話をしてくださった足立区立郷土博物館の学芸員さん、御多様の中足を運んでくださったご来賓や地域の皆さま、そして準備をしてくださった先生方、ありがとうございました。